2006-07-19

txtremix メモから




子どもからおじいさんまでいろんなタイプの人と
一通り付き合ってみて!っていいたいな。
あんまり、自分の範囲を制限しない方がいいですよ。
自分の範囲だけの”コミュニケーション”って実はとても狭いものです。
2006-07-19






どこにも嵌れない「私」ってなんなんだろうと思う。
仮の姿?食ってくためにはだましだましも大切?
気に入らない、ごもっとも。
満足なら、わざわざ「作る」必要もないでしょう。
本人は破綻してても、作品はそうじゃない。
本人がいいひとでも作品は詰まらない事も多い。
とても温和で柔らかい人がとんでもなく暴力的な作品を作る。

ズレのなかにリアリティをひしひしと、しかし圧倒的に感じる。

作者も正しい、作品も正しい、ってどこかに無理があるような。
面白い、つまんねーなという一瞬の判断の中に、
どこかで自分の存在を見たい、という根本的な欲求があるのは間違いないと思う。
とりあえず、一切の努力をやめてみたい。
2006-07-13




内側に抱えている人は面白い。
抱えられる人かな。
いちいち考えなくても、こう見ましょうみたいのは作られているし、
(ここでメディアを批判した所で何もならないのでまたいつか)
生かされていくには便利といえば便利だけど、
一方で、俺はこう見るぜ、私はこういう風に見ています、
っていうのがなかなか表に現れず、
それが継続的に意識化されることはもっと少ない。
一般まで届くことは稀だろう。
本物のドキュメントが欲しいところです。
10年に一度でもいいんだよね。
問題はそれを持続できる生活をどう作っていくか、です。
その手前の段階までは出来てきました。その次をやるには余裕がないとね。
努力に支えられた何かはもうどうでもよくなってきてる。
意外と難しい、暇とお金。
やぶれかぶれのゲリラ戦からすこしづつ持久戦に移ってきてる感じ。
(2006-07-05)

kamiku studio




意外と保守的。本心は。
自らそのレールにもぐりこんでいこうとする意識。
なんとなく時代背景を感じる。

確かに安全そうだもの。

モラルってなんなだろう?
社会が悪すぎる。のか?
不可解な出来事はそこへ導かれる。

テレビ。
インターネット。

世論(世間)は管理され、(巧妙でもなく)作られる。アリバイも自由自在。
元をたどっても、個はなく。

出る釘は打たれる、といわれる。
でもさー、何もやらなければ安全かといえば
退屈の方が大きいよ。

ズレはズレとして、捨てなくてもいいんじゃないかと思う。
流通経路を作って、何かを流すのではなく。
場所を確保して、自己表現を展開するのでもなく。

もっとダイレクトでリアルタイムな「事」を実践したい。

人の目は正確だ、と証明してみたい。
充電は十分。ぼちぼち。リラックスして、力まず。がんばらず。
20060304


house_collabo
リラックスして自分のペースでできる場所はやっぱりいい。
展覧会のための制作ではなくて、制作(生活と切り離さないで)に展示をかぶせていくようなニュアンスのものを、そのうちまた考えてみたい。
パブリシティへの方向性を持ったものは結果が予測できるのでまだ先。
もっと徹底的に面白がってしまうことにしよう。

さらに、言葉が変だけど制作は「片手間にこなして」いきたい。2002/06/30


memo7
リアルタイム

では、リアルタイムの文化とはどういうものだろう?
自分では、先をイメージする、予見していくものだと思う。
なんのことであれこの先の計画を立てるのに、想像力が欠落していては、どうにもならない。
これを経済と切り離したところでやるのがArtなんだと思う。
具体的には例えば作品は商品ではない。

やっぱり先を予見していくのは、アーティストが得意なように思う。
毎日毎日こんなことを考えながら暮らしてる人の意見もすこしは政治や経済に生かすべきだと思うな。

アートの方の人は逆に生活がないんだから、こんなとこにビジネスチャンスがあると思うぜ。(笑)

いや人事ではないけど。(笑)

作品にものとして値段がつく時代はもう終わってる、と思う。
だってマスを相手にプロが巧妙にマーケティングしたものと同じ土俵でやったってかなうわけないじゃん。普通に考えても。
だけど、そういう「商品」だけで生きていけるのか、というところをついてみれば面白いんじゃないかな?

どっちみち食っていかないことにはどうにもならないわけだし。やせがまんはかっこいいけど(笑)。2002/06/05


memo6

20年前のMGBに乗る。
本物のスポーツカーだと思った。
構造はこれ以上削りようがないくらいプリミティブなもの。
体が適度に痛めつけられる。
イギリスは好きじゃないけど、運転する人と車の距離感の背後に向こうの文化を感じることができる。


ルノー5(初代、縦置きエンジン)のドライバーと車の距離感に、実際に3年乗ったので、もっと明確にフランス人の生活、そこからの車との関わりを感じることができた。ちなみにフランスもすきではないけど。

マッキントッシュを見ても実際に使ってみても、背後にポップアートの存在を少し意識することがある。

日本にも文化はあると思うけど、今の時代にわざわざ茶室を持ち出してくる前に、コンテンポラリーというか、リアルタイムの文化をすこし意識してみたら、政治も経済ももちっとリラックスしてやれると思う。

エネルギッシュな経済人が、なぜ、文化を口にしないんだろう?
改革、改革という政治家がなぜ文化を使わないのか、この不思議さが、直接、日本の”ヘンな感じ”に繋がってる。

どの現場もきついと思う。政治家もつらいよね。
文化を持ち込まないで戦わなきゃいけないんだから。

輸出がメインの日本の自動車産業に、プレミアムなメーカーが一つもないのは、こんなところにあると思う。
( 2002/06/03) 


memo -No.2
ビョーク
ある番組のインタビューで、先日のニューヨークのテロ事件について、また、こういう状況で音楽に何が出来ると考えているかと聞かれ、
政治には2種類ある。ひとつは文字通り、国際間の権力闘争も含むいわいる政治、もうひとつは、もうすこし身近なところで人と人の関係というような、個人レベルでの政治。戦争のときは個人レベルでの政治がとても大事だという。
そして後者に音楽が関われると言っていた。


言わんとすることが理解より先に、感覚的にニュアンスで伝わってくる。
「権力闘争も含むいわいる政治」を盲目的に否定もせず、肯定もせずというのがすごい。
こういう距離感を持った人を尊敬する。


多分、文化って「個人レベルでの政治」から生まれてくるのだと思う。

(20020114


-memo No.3

ロッキーマウンテンのバイクが欲しいと思いつつ。
日本ではどちらかというと少しマイナーなカナダの自転車メーカーで、製品も、メーカーの展開の仕方もグローバルな感じはほとんどない。

そこがいい。

ホンダが作ったカートもF-1も走れまっせというツインリンク茂木みたいなものは嫌い。
せっかく作ってもその地域や背景と絡んでいなければ面白くない。
トヨタもあれだけの資金があるんだから、F-1なんかやんないで、もっと自分の国の文化に貢献することを考えればいいのにと思ったり。
徹夜でコストダウンして、誰よりも安くて品質のいいものを作って、儲けて、それでF-1、勝つまで資金つぎ込んで、いつか勝つのは当然、は発想が貧しすぎる。

Artでいえば、新潟や横浜のトリエンナーレみたいなものはなにも生まないと思う。
光州のビエンナーレだってもっと全然ましですよ。

インターナショナルって、グローバルとは全然違う。。

ローカル、
土着、いいじゃん。2002/01/25


熱海ビエンナーレ  ホルベイン
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